今年の2月に亡くなった友人の仏前へ、ようやくお参りにうかがう事ができました。
コロナ禍でお葬式も制限があり、弔問できなかったので、今回はご主人のお心遣いで大学時代の友人が集まる連休期間にお時間を割いて頂いて訪問する事になったのです。
朝ごぱんを食べながら…彼女のことを思い出していました。
・生ハム入り極彩色カポナータ
・ハムチーズサニーレタスサンド
・茸と新玉葱と豆苗とベーコンの豆乳スープ
私はこんな大量の薬だのみでポンコツな身体ながらも何とか過ごしていますが、コロナ禍での闘病生活はいかばかりだったろうと。。。
大学時代の友人は全員で8人グループ。
亡くなった1名を除く7名が集まったのも、今日が数年ぶりです。
その1人がこんな早く欠けてしまった喪失感はとても大きくて、信じられないような、信じたくないような思いで仏前に。
実は初めて訪問した友人宅、飾られた笑顔の写真を見ていると、奥からひょっこり「いらっしゃい」と出迎えてくれるような錯覚さえ感じましたが、本当にもういなくなってしまったのだなぁという寂しさも。
ご主人が彼女の写真や闘病が始まった2年前あたりから書き綴り始めたという俳句やメモを用意してくださったので、じっくり拝見しました。
亡くなる3~4年前くらいから逢えていなかったので、俳句やメモは直近の彼女の様子が偲ばれて、何も知らず、力になれなかった事が悔やまれましたが、おそらく訊いても
彼女は答えなかっただろうなと思います。
優しくて強い女性でした。
昨年末に容体が急変して2か月緩和ケアに入ったと伺いましたが、今年の年賀状は彼女自ら刷ったものと、ご主人から伺いました。
いつもは大変な日常生活でも冗談交じりの言葉と、手書きでひと言添えられていたので、今年はやけに真面目でいつもと雰囲気が違うなぁと思ってはいたのですが…
今思えば、覚悟の上で何も伝えず、ただ私たちの後の人生に幸が多いことを願ってくれたのかなと…。
忘れられない、語り出せば鮮明に浮かぶ思い出話がたくさんあって、ご主人には辛い話題もあったかと思いますが、きっとそばで友人が聴いてくれていると思いながら、少し長居させていただいて、故人をしのぶひと時を過ごさせていただきました。
こんなかたちでお別れになってしまって、本当に哀しいけれど、貴女が祈ってくれた分まで頑張って生きなくちゃ。
帰りに、他の友人たちと軽くお茶しながら近況報告もして。
彼女との思い出の水まんじゅうを買いました。
大垣に遊びに来た時、彼女が案内してくれたり、うちへ遊びに来てくれた時手土産でくれた思い出の一品です。
帰宅後は、作り置きと買い置きで晩御飯。
今日お参り出来て良かったです。
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