横浜&鎌倉旅行o(^o^)o鎌倉で南北朝萌え:大塔宮篇2015年03月22日

最後まで食い倒れた横浜中華街めぐりから一夜明け、本日は鎌倉へ移動です。

朝ご飯は鎌倉で摂るつもりなので昨日、中華街から山下公園へ向かう間に買ったかをりレーズンサンドで朝スウィーツ♪

中国茶また淹れて♪朝からほっこりvvv
電子レンジや電気コンロもついてるので、なかなか便利です。

昨日はどんより曇りがちなお天気でしたが、今日はうって変わってカラリとした晴天。行楽日和です。

そんな車窓を眺めながら、JRで鎌倉駅まで移動し、到着したらば早速、こじゃれたカフェを見つけてモーニング。
ぽかぽかお日様が気持ち良かったので、テラス席で頂きましたvvv
私が注文したのは手前、ティーサーバータイプのポットに淹れられた、たっぷり2杯のコーヒーと、蜂蜜とチーズのトースト
閑静な住宅街の狭間、朝のちょっとひんやりした風と温かい日差しが心地よく、休日の朝らしい時間を過ごせました。

でこの後、ミイル友さんおススメの紅谷へ。
店頭のディスプレイが萌え~vvvリス超可愛い!!

売りきれてしまうので早めの購入を、とミイル友さんからご助言頂いていた紅谷クルミッ子を早速ゲットしました!!
友人たちと早速つまみ食い(笑)お、おいしーーーーvvv
女子が好きな味です♪

朝から飛ばしつつ、私の萌えワールドへ(笑)

★鶴岡八幡宮
鎌倉幕府将軍や執権にゆかりのある神社ですが、私にとっての萌えポイントは…鎌倉府繋がりで南北朝時代じゃないけど上杉謙信関東管領拝賀式が行われたって事かな?

友人が境内の屋台で早速女子っぽいものを買ってました。
いちご、春ですねぇ~~vvv

★青砥藤綱旧蹟
50文で松明を買って、川へ落とした公金10文を探したという、太平記の逸話に出てくる人物ですね。

★畠山重忠邸址
南北朝萌えはありませんが、畠山氏といえば後に鎌倉府の三管領に連なる家で、重忠は北条時政の娘以降の傍流になります。

と激写しながら歩いていたら、東勝寺橋が見えてきました。
決して北条萌えではありません(爆)

東勝寺跡
勿論、足利直冬萌えです!!!!!
執権北条氏の菩提寺で、南北朝萌えの観点から言えば北条高時自刃の場ではありますが、私的に重要なのは足利直義の養子となった足利尊氏の妾腹の子・足利直冬喝食として預けられていた寺だったという点にほかならず。

…ってな事は、ひとっことも書いてないけどね↓(T-T)
はぁ…ここでちっちゃい直冬が不貞腐れて(違)いたんだと思うと……も……悶。

で、いっきに足利モードに突入するかと思いきや!
お次はまさか?の、前述足利直義の命により中先代の乱の混乱に乗じて淵辺義博が弑し奉ったと伝えられる大塔宮護良親王萌え~。
★鎌倉宮


感動で言葉がない(苦笑)
もちろん、土牢↓も拝んでまいりました。
おおお…おいたわしや宮…(南の御方の気持ちになってみる)
ま、いくらなんでも高貴な皇子をこんな洞穴へ幽閉する事なんてありえないので、実際は座敷牢的な部屋へ幽閉されたのですが。
それだけ悲劇性の強い事件だったということです。うううっ。

関連書籍をひたすら買い漁っていた日々を振り返りつつ、宮を偲んでこっそりと涙を……拭ったかどうかは置いといて。

記念碑の周りにはお花が咲き乱れていて、まるで宮が私を歓迎して(違)くれているかのように、勝手に思い込みますた(爆)



そして淵辺義博が斬りおとした宮の首がおかれたという場所。
あああ……宮がもしもうちょっとご存命だったならば案外、その後南朝へ帰順する直義と共同戦線張ってたかもしれない!?
とか妄想を抱きつつ……合掌。

なんかゴムちゃん(※後村上天皇の個人的愛称)の名前があったから撮ってみた↓
じっくり確認する時間がなく、後で確認したらこの木板?の手前にゴロゴロと置かれていた大きな岩は、鎌倉宮鎮座100年を記念し、福島の宇津峯神社から送られた宇津峯城(星ヶ城)城跡の山岩だそうです。
神石とされ、中央:後村上天皇、右:護良親王、左:後亀山天皇だとか。うっすら宮の石が写ってますが…全貌撮れず(T-T)です。

宇津峯城といえば、足利直義高師直の対立が表面化し、前述のとおり直義が南朝帰順などを経て、結局病死(毒殺説あり)という運命を辿った歴史的事件=観応の擾乱に乗じて、勢いを盛り返した南朝側が、ほどなく北朝勢に圧されはじめた頃、鎮守府将軍の北畠顕信宇津峯宮守永王を奉じて立てこもり応戦した場所です。

ん~~久々の南北朝萌え。。。。。。

この多宝の塔は、護良親王の子、楞厳法親王妙法房日叡が教えを受けた日賢上人のために弟子が建てたもの。
ってかさっきから「……に乗じて」多すぎ(笑)
それほどに南北両朝が熾烈に相争う時代だったという事です。

ちなみに今回、ルートの方向が違いすぎて行けなかった妙法寺、この日叡が両親である護良親王南の御方とともに祀られたお寺なので、いつか行ってみたいと思います。


理智光寺跡
そして何もなくとも、そこにあるエピソードだけで萌えられるのが真の”をたく”てか?

前述のとおり、護良親王の首を落とした淵辺義博でしたが、『太平記』の大仰な表現を用いるならば、落ちた生首がその断った刃を噛んで云々という壮絶な自体に惧れをなした淵辺さん、生首放って逃げちゃうんですな。
その御首を葬ったのが、理智光寺の住職だったのでした。
廃寺となった今も、跡地に宮内庁管理のお墓がちゃんとあります。
それがここ↓
★護良親王墓


さぁ!萌えパワーフルスロットルで、すでに悲鳴を上げてる足腰に鞭打って、この階段を上るぞ!!
階段の途中で腰を並べて、仲良くお弁当を食べているご夫婦?をやり過ごしたり、ダンベル両手にエッホエッホと軽快な足取りで段を駆け上がってゆく男性とすれ違ったり…とても悲劇のエピソードが詰まった場所とは思えない、のほほんとした雰囲気でしたが……

死にものぐるいで階段を上り、心拍数が上がってきたところで、ようやく上り切って宮のお墓まで来た!!

宮内庁管理の陵墓って、ほんと柵の先のお墓までの距離が遠すぎて残念な感じですが……手を合わせてきました。

そして最初のコースの〆は鎌倉公方の菩提寺へ。
★瑞泉寺
拝観料を払ってしばらく歩いたら、本堂へ到着前にまずこれを見つけてパチリ。
夢窓国師=夢窓疎石といえば、足利直義との禅問答を綴った『夢中問答集』が伝えられているとおり、直義がたいそう帰依していた禅僧です。
京都の天龍寺など、夢窓国師が作庭した庭は数多く、庭いじりの好きなおじいちゃん的エピソード満載なので、ついほっこりしてしまいます♪
本堂まだかな~♪
しばし歩き進んだら、本堂の前にやって参りました。
そして門をくぐれば、見事なお庭が。

奥へゆくと、剥き出しの岩肌にぽっかり空いた穴がインパクト大の場所が見えてきました。
これも国師のコ・ダ・ワ・リ???楽しーーーーー!!

はぁ~楽しかった!!萌えまくった!!
でもまだまだ次のコースも行けるし!
とりあえずおなかが空いたから、そろそろお昼ごはんにしましょう。

というわけで、足が疲れていたため、バスで鎌倉駅まで戻ります。
バス停大塔宮
あれ?と違和感があったのは、確かずいぶん前に歴友さんから頂いた大塔宮バス停の写真が、丸い看板のレトロなタイプだったから?近代的な案内板になってました。

そしてよく見たらルビ「だいとうのみや」なんですね。
私にとっては「おおとうのみや」がなじみ深いので、ちょっと残念ですが……。

後半戦は続きにて。

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