あっという間に明知駅到着。
復路は
前記事の”
通行手形”にて、乗り降り自由な途中下車の旅も楽しめるため、往路で係員の方が各駅からの観光スポットを案内して下さったのですが、今回は終着駅でそのまま観光する事にしました。
一応、駅からすぐのところにこの↑建物(観光案内所)があって、来る前は博物館明治村みたいな歴史テーマパーク的なところを想像していましたが、全く違いました。
ちょうどこの日は第30回大正村ちょっとおんさい祭りが開催中で、昼過ぎに到着したら、目の前の広場が出店やパフォーマンスでかなり賑わっていましたが、ここがゲートというわけでもなく。
とりあえず観光案内所へ入ってみるか…と入口近くまできたところで、出店の無料診断ブースに引き留められ、なぜか健康状態チェック。
Tru Ageスキャナーという測定器を使って、体調不良や病気を起こしたり、老化を加速させる
AGE(主にタンパク質が体内で余った糖と結びついた有害な合成物質)の値を測ってくれるというものでした。
まぁ、絶賛膠原病治療中で免疫異常の真っ只中にある我が身ですので、異常値出る事は覚悟しておりましたが…
結果はこの↓とおりでした。
件の有害物質から判定される身体年齢が左、身体の状態のレベルが右です。
私の実年齢だとTruAge的な平均値は、年齢値が49・AGE値は201だそうですから平均は超えてまして、健康状態を見直しましょうねというレベル。
生野菜を沢山摂る、なるべく電子レンジ調理はしない(ビタミンが壊れるため)とか、適度に運動とかレクチャーを頂きましたけれども、電子レンジ調理以外は病気療養的にNGだから無理だし( ノД`)シクシク…
ストレスを溜めない事、実はこれが最も重要な健康の秘訣だそうです。
無理でしょ。
ちなみに友人のうち、1人はものすごい値が出てました…今日は浮世絵といい、”ものすごいもの”との邂逅日和だなぁ…(謎笑)
といきなり大正村とは全く関係のない寄り道が入った後で、観光案内所…というかお土産屋をぐるっと冷やかして、いざ散策へ。
テーマパークではなく、町全体に点在する歴史的建造物を総称して日本大正村としているので、それ以外の建物はふつーにお店だったり、一般の民家だったりします。
古い建物を見学用に解放してる(一部有料)というわけです。
有料施設にどの程度の資料があるのか、あんまり下調べしていなかったので、今回は大正村展示館や日本大正村役場など、無料施設ばかりを見学しました。
なんか、昔の村長室とかあったんだけど、なぜかソファにラッコ?が座ってる(笑)
★大正浪漫館
有料施設なので今回は外観のみでスルー。
大正村といいつつ、明知だけに明智光秀関連の歴史的スポットもあり、おすすめ散策コースにもなっています。
★金弊社八王子神社
社殿前の右脇には、幹が繋がった縁起モノの杉もあり。
何か良いご縁があるといいなぁ。
すっかり新緑の季節ではありますが、境内のモミジがきれいだったので、パチリ。
明智光秀が紅葉「楓」を手植えしたと伝えられているものの当時の楓は昭和39年枯死してしまったらしく、この↑木は植え替えたものですから正確にはもう手植えじゃないよね~。
文武の道を志す明智光秀が神社内にこの↑人麻呂社を祀ったと伝承があるそうですが、真偽のほどは定かでなし。
緑と赤の紅葉がとっても綺麗。
そういえば我が家の庭にも以前、二色の紅葉が綺麗に並んでいたのですが……枯らしました(爆)
★龍護寺
明智城主遠山氏の菩提寺。
この手前右側に光秀の供養塔があります。
正直お寺の入口より目立ってるし、「御霊廟」に「お・は・か」ってルビが振ってあるのが(笑)
御霊廟の向かって左には、さらにわかりやすい系図と説明もあり。
中へ入ってすぐ右にこれ↓
卒塔婆?を反対側から見ると「敵は本能寺にあり」の一文が。
これ、実際に光秀が言ったわけじゃないけれど世間一般的には一番わかりやすい名セリフですものね。
とにかく、いちいちわかりすい感じのディスプレイです(笑)
境内へ入って本殿には、こんな↓おみくじが。
この白黒招き猫の右脇に、件の”おそるべきおみくじ”がありました。
なにが恐ろしいのやら?と引いてみれば、何の変哲もないおみくじ↓ですよ?
しかも私の引いた第十八番 吉は
病気:快方にむかう
旅行:道中つゝしめばよし
金運:努力がむくわれる
という結果だったので、私的にはおそるべきというより、そうあるべけれ!おみくじといったところでした。
境内にあった仏足石が可愛かったので、パチリ。
入口からして光秀押しは歴然ですが、「光秀に関する碑は光秀の”悲痛な想い”で悉く割れる」という通説があるらしく、供養塔の碑にも斜めに大きくひび割れが入っているそうです。
また「光秀の直垂を持参した落武者が訪れ、永代供養を乞うて去った」という伝承もあり、四隅へこの直垂の布を縫い込んだ”九条衣”と称される袈裟が寺宝として伝えられているそうで、毎年光秀まつりの日に、供養を兼ねて一般公開されているようですよ。
★旧三宅家
300年以上前の民家を移築復元したもの。
立派な茅葺屋根で、中にはレトロで素敵な格子の箪笥もありました。
で、ここから引き返せない歴史萌えトレッキングコースへ突入。
まさかここまで登るとは思わず、ふつーのローヒールパンプス履いてきちゃったものだから、それはもう、大変でした。。。。
どこへ行っても、わかりやすいディスプレイ↓が(笑)
★万ヶ洞天神神社
祭神は菅原道真。
このすぐ先に、小さな小屋があって、そこが光秀が学んだという学問所と伝えられています。まぁ、真偽のほどは定かでありませんが。
新緑の中でひと際目立つのぼり。
このブログでも度々ご紹介してきたかも?ですが基本、山城ダイスキーなワタクシ、でございますけれど今はとにかく炎症反応が上がるの怖い。
なので、道はほとんど整備されてなくて足許悪いわ、急勾配多いわ、でも手摺り類全くないわ、蛇は出るわ、蚊も居るわ、の悪路をひたすら上り、萌える余裕ナッシング。
たまに平らなところへ出れば、木陰で涼をとって休憩挟みました。
他の観光客の人影もなく、上り、上り、上り詰めてようやく本丸到達。
取ったどーーーーーーー。
眺めはサイコー。
山桜も少し残っており、満開時期であれば一層、清々しさと相俟って、目に鮮やかな景色であったことでしょう。はぁぁぁ。
しかし帰りも同じ道を下るのか……とげんなりしかけたところで、別ルート(ショートカット)発見!
勾配は急だったものの、往きの半分くらいの距離?でサクッと舗装された道へ出ました~良かった~~。
さ、駅まで戻ろうとアスファルトの車道を歩きだしたのは良かったけれど、同じ道を歩き進めすぎて段々下りじゃなく登っていくルートになって来たからおかしいぞ?と思ってGoogleマップ確認したら、逆に遠ざかってるし( ノД`)シクシク…
逆戻りして軌道修正したら、光秀の母上の墓所がありました。
★お牧の方墓所
ここにも「敵は本能寺にあり」の石碑が(笑)
織田信長に丹波の攻略を命じられた光秀が、丹波の土豪・波多野三兄弟を攻略するため、自らの母親を人質として差し出し、交換条件で信長への恭順を乞う和議を申し立てた事で安土城に赴いた波多野三兄弟を、信長は磔にしちゃうんですよね。
入れ替わりで波多野氏の拠城へ送られた光秀の母親が、この報せを訊いた家臣たちによって磔にされてしまったという悲劇のエピソードはあまりにも有名です。
この事件が、本能寺の変の動機とも言われているからこその、件の石碑でありましょうけれども、それに関して私は最敬愛する司馬遼太郎先生の「功名が辻」派なので~~。
そんなこんなで後半戦はほぼ明智光秀を巡るトレッキングでした。
お茶したかったけれど、途中そんなお店すらなかったし(´;ω;`)ウッ…
そういえば明知駅の横に喫茶店みたいなのがあったから駆け込もうと必死で(苦笑)駅まで戻ったら、ジャスト閉店時間だった(´;ω;`)ウゥゥ
結局、お茶しそびれてしまって、帰宅までにお腹も減りそうだったので、仕方なく駅そばのスーパーでタイムセールのお好み焼き↓を買って、帰りの車内でモグモグしました。
こういう薄紙と透明セロファンに包まれたお好み焼き、ものすごく久しぶりに食べるわ~~。
お土産は、寒天列車で車内販売してくれた極楽せんべい(パンプキンシード、ひまわりシナモン、ピーナッツ)と、恵那駅のベルマートで買った松月堂のしぶかわ栗カステラ。
愉しかった日帰り旅、でも無理が祟って帰宅途中にどんどん片頭痛が酷くなり、帰宅後はソッコーでシャワー浴びてダウン。。。。でしたけれども、残り3連休で何とか養生して検査通院に備えたいと思います。
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